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学校生活 2025.03.25
2024年度卒業式・学校長式辞

卒業式

3月25日(火)、日吉会堂において第76回卒業式が行われました。
保護者の皆様や同窓会の皆様に参列していただき、無事式を終えることができました。
学業や課外活動、行事などで活躍した卒業生諸君の今後の活躍を期待しております。
なお、今年度卒業生の慶應義塾大学各学部への推薦人数は、以下のリンク先でご覧いただけます。

慶應義塾大学への推薦

学校長式辞

卒業生の諸君、ご卒業、おめでとうございます。ご家族の皆様、ご関係の皆様にも、心よりお慶びを申し上げます。
君たちが入学した頃、学校はまだコロナの不安の中にありました。この3年間で運動会・日吉祭・選択旅行などの学校行事が、段階的に再開されていきました。日吉祭はオンラインから対面開催となり、いまや1万人をはるかに超える来場者を集めています。放課後や夏休みの多種多様な協育プログラム、中期派遣留学など、コロナ以前にはなかった教育活動も次々に始まりました。こうした中にあって、学校生活が単にコロナ以前に戻ったということではなく、それまでになかった雰囲気や文化を、君たちが作ってくれたと思っています。
甲子園やインターハイ、春高バレーなど、クラブのめざましい活躍はもちろんですが、生徒会の活動も目を見張るものがありました。招待会議や塾高の森、日吉祭では初めての試みとして、生徒会と校長で一緒に学校説明会を行いました。私にとって楽しい思い出です。
さて、1年生の時の国語(言語文化)の教科書に、『宇治拾遺物語』の「柿の木に仏現ずること」という説話がありました。私は3クラス担当しましたので、私が教えたクラスの諸君は覚えていると思います。平安時代、延喜の帝の御時に、都の五条天神のあたりに大きな柿の木があり、そこに「仏」が現れました。大勢の人たちが集まって大騒ぎをしている中で、ひとり右大臣殿だけがそれを怪しみました。「仏」に向き合い、しばらくじっと見つめていると、「仏」は耐えきれずに正体を現しました。人々がありがたく拝んでいたのは、羽が折れて地面におちたノスリ(鷹の一種)だったのです。
人々がこぞって「仏」を信じる中で、右大臣殿だけがなぜ冷静でいられたのかというと、仏教の正しい教えが衰えた末法思想の世に、本物の仏が現れるはずがないという確かな考えがあったからです。彼は堂々たる態度でじっと見つめ、その正体を暴きました。疑うことで本質を見抜いたわけです。興味深いのは、正体を暴かれた「仏」の末路です。木から落ちて羽をばたつかせているノスリは、子供たちにさんざんに打たれました。「にせもの」の無残な最期です。私たちはこれと同じような場面を歴史の中で何度も目にしています。民衆の圧倒的な人気や支持を失った偶像が、一転して粉々に破壊される。絶大な力を持つ権力者や独裁者がその地位を追われたとき、その先にあるのはみじめな末路です。このように考えると、古典文学がもつ普遍性と現在性にあらためて驚かされます。
古語(古典)では「見つめる」ことを「まもる」と言いました。じっと目を離さずにいる、見守る、それが転じてガードする意味の「守る」になりました。右大臣殿は、にせものをじっと見つめ、疑うことで本質を見抜きました。なぜそれができたのかというと、確かな知識と教養に裏打ちされた見識があったからです。現代語の「守る」の原義(もともとの意味)が、「見つめる」だったのは、大変興味深いことだと思います。「見つめる」ことによって「守る」。では、現代を生きる私たちが守るべきものとはいったい何でしょうか。
君たちが学んだ校舎は、かつて慶應義塾大学の旧制予科の校舎でした。文学部・法学部・経済学部の文系3学部は、日吉で3年、三田で3年の課程でした。予科の教育は教養主義に特徴がありました。語学の授業はカリキュラム全体の約4割に及び、哲学や文学・歴史などを通じて人格の完成をめざしました。予科の生徒は、文学や哲学を競い合うように読み、外国の音楽や映画を楽しみました。外国語は世界に向けて開かれた窓であり、彼らの知的興味は常に外へ外へと向かっていたのです。ところが、アジア・太平洋戦争が始まると、この理想的な学園は、塾生を戦場に送り出す場になってしまいました。学徒出陣です。
上原良司という君たちの先輩がいます。経済学部の予科を日吉で学び、学徒出陣で陸軍のパイロットとなり、1945年(昭和20年)5月11日に沖縄に向けて特攻出撃しました。22歳でした。出撃の前夜、鹿児島の知覧基地の兵舎で彼が記した「所感」と題する文章が残っています。そこには次のようにあります。
「長き学生時代を通じて得た、信念とも申すべき理論万能の道理から考えた場合、これはあるいは、自由主義といわれるかも知れませんが、自由の勝利は明白な事だと思います。」
「権力主義・全体主義の国家は一時的に隆盛であろうとも、必ずや最後には敗れる事は明白な事実です。」
軍隊の中で、「自由主義」を標榜することは、きわめて勇気のいることでした。しかし彼は、出撃の前夜に堂々とそれを書き記しました。慶應義塾で、日吉で、この校舎で学んだ上原良司という若者の揺るぎない信念がそこにあったということでしょう。全体主義や権力主義の理不尽さや限界をじっと見つめ、疑い、考え続け、困難な状況の中にあっても、最後まで「自由」を大切にしようとしていた先輩がいたということを忘れたくないと思います。
いま、世界で自由主義や民主主義がこれまでにない形で危機に瀕していると言われます。私たちが守るべきものは何でしょうか。それはやはり「自由」であり、「平和」であり、「民主主義」だと思います。私たちのまわりにはネットやSNSで不確かな情報やフェイクニュースが溢れています。だからこそ私たちはしっかりと事実の真偽を見極めなければなりません。塾高を卒業する諸君、君たちの前には輝かしい未来があります。福澤先生の考えを継ぐ者として、どうか社会を冷静に、知的に見つめ、本当に守るべきものを守り続けてください。これが私からの贈る言葉です。
あらためて、卒業おめでとう。

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