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卒業生からのメッセージ

「地域レベルでの国際化医療に取り組む」

平成2年1月、慶応病院から派遣されていた大和市立病院の職を辞し、同市内に通訳付きの小林国際クリニックを開設しました。それまでは外科医として専門医の道を歩んでいた私ですが、どうしても衝動が止められなかったのです。

私はもともと炭鉱地帯であった北海道夕張郡栗山町の造り酒屋である家に育ちました。小学校には炭鉱で父親を亡くした子供たちもいて、そのあまりにみすぼらしい身なりは今でも目に焼き付いています。小学生のころ、家庭の事情で母と私だけが東京に出てきましたが、誰の庇護も求められない環境になって辛さと引き換えに私はいろいろなことを学びました。今まではただ気の毒にとかかわいそうにとか思っていただけでしたが、自分が社会的に弱い立場になって初めて「自分がされていやなことは他人にもしてはいけない、いわれなき差別をしてはならない」と心に強く思うようになりました。相当にませた子供だったかもしれません。

昭和57年に慶応病院から大和市立病院に二度目の赴任をした後、私は後の自分の道を決定づける出来事に出合いました。それはインドシナ難民の人たちとの出会いです。70年代にベトナム、カンボジア、ラオスで起こった共産化の波は数百万人に及ぶ国外難民を生みだしました。日本政府も合法的に約1万人の彼ら難民を受け入れましたが、その政府関係の受け入れ施設の一つが大和市内にあったのです。彼らがタイなど周辺国の難民キャンプから到着すると大和市立病院で健診を受けることになるのですが、本来、健診を業務とする内科医の中に担当に手をあげる人はいませんでした。私は外科医ではありましたが、不承不承仕事として診る医者よりも、もともと海外志向が強かった私が診たほうが彼らにとっても幸せではないかと考え、手を挙げて引き受けました。彼らを診察していて教えられたことは医療とは薬を使ったり、手術をして治すだけのものではないということです。信じてもらい、心の傷に触れさせてもらい、ともに肩を抱き合う気持ちがあって初めて薬も手術も有効になるのです。それは日本人の患者さんであってもまったく同じです。

ある日突然どうしても自分の考える医療を自分の手で追求したくなり開業したわけですが、すでにこの20年で日本人に混じって64カ国延べ4万8千人の外国人を拝見しました。日本には現在200万人を超える外国人が暮らしています。ところが日本の、そして地域の多数派は日本語の能力に不自由のない日本人です。さらに役所を含めた地域でさまざまな計画を立てるのも多数派である日本人です。多数派である日本人が同じ地域の中に日本語の読み書きができない少数派である外国人が生活しているのだということを強く意識しなければ少数派が切り捨てられる社会になってしまうでしょう。これを別の切り口で表現すると社会の多数派は体が丈夫で働ける人たちであり、少数派は幼い子供や車いすなどに頼る高齢者そして身体に障害を持つ人たちでしょう。だれもがいわれなき差別をされてはいけない。これは私の永遠のテーマです。

塾高では大学受験のためにだけ勉強することは必要ありません。そのためか多様な価値観を持った学生がいて、お互いの多様性をいい意味で認めあっていました。先生方も学生をいい意味で大人扱いしてくださっていましたので強い力で抑えられたという思い出が一つもありません。人に流されず、自分の思い・考えを貫くことはこの塾高の中で学びました。専門医の道を歩んでいた時、それを振り切って、開業医として地域医療の国際化に邁進する道を迷うことなく選んだのも塾高で学んだおかけだと思います。私はもともと社会系の科目が得意な全くの文科系人間でした。医学部に進学し、悩んだこともありましたが、社会系が得意な自分だからこそ医師として他の人にできなくて自分にできることがあるのではないかと考えてきました。それは証明されたと思います。

最後に、我こそ正義と声高に叫ぶ人間ほど怖いものはありません。その正義に賛同しない人間を容赦しないのですから。塾高には多様な価値観を持った学生がいるとお話ししましたが、私は正義ではなく、私の価値観で正しいと信じた道を進んでいるだけです。

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慶應義塾高等学校