11回生】

部長 長尾 雄

監督 高橋延禎(現姓・武井延禎)

主将 原田捷史

主務 丸山修司

選手 安西、妹尾、深澤、藤田、堀内、守谷、矢崎、安田、若林、高橋、佐藤

 

  秋季大会、関東大会までは山田監督で34年の春から高橋さん(現姓武井さん)に交代になります。

 

  秋季大会では準決勝でY校を延長戦で破り、決勝では夏2連覇の法政二を破って3年ぶり2度目の優勝を決め、関東大会に出場しています。

  その秋季関東大会では1回戦完封勝ちのあと準決勝が引き分けで再試合となります。平成16年秋の関東大会浦和学院戦での延長14回死闘は記憶に新しいのですが塾高の再試合はこれが最初だったようです。なおこの年の関東・東京代表は3校しかなく、しかも東京から2校選ばれたため7県からは山梨の石和のみ出場という狭き門(全国で23校。現在は34校)で塾高の選抜出場はかないませんでした。

 

春の県大会も順調に勝ちあがりましたが準決勝が延長となり惜しくも敗れています。

 

夏の選手権予選も決勝までの4試合をわずか2失点に抑えます。準々決勝では0-1劣勢の9回、「巧者守谷が反撃の口火」(神奈川新聞見出し)を切り、23塁から4番矢崎さんの同点内野安打、加藤さんの勝ち越しタイムリーで逆転勝利し(50年史丸山さん記述)、準決勝戦では2年生エース渡辺さんが1四球のみという県大会初の準完全試合を達成して決勝に進みます。決勝も0-0のまま延長戦に突入しますが延長10回に失点し、惜しくも敗れるという非常に残念な年でした。

なお、夏の渡辺さんはその後東京六大学でも初の完全試合を達成しています。また3回戦から決勝までの4試合すべて完投しています。 

 

 「典型的なトップバッター」(神奈川新聞学校紹介から)主将の原田さんには日吉倶楽部副会長として5年間務めていただくなどご尽力いただいています。

 

     昭和33年(1958年)秋  県大会優勝  3年ぶり2度目 

1回戦  11-0 多摩

2回戦  不明 県商工

準々決勝 6-2 横浜

準決勝   2-1 横浜商

決勝    6-1 法政二

法政 000 001 000 1

慶應 004 001 01x6 

◇渡辺−高橋

 

     昭和33年(1958年) 秋季関東大会(3年ぶり3度目の出場) ベスト4

1回戦 2-0 深谷商

準決勝 3-3 石和(引き分け)

準決勝 0-5 石和

慶應 000 000 000 0

石和 000 000 23x 5

◇渡辺−高橋

【三】渡辺

【二】矢崎2、高橋

 

     昭和34年(1959年)春  県大会 ベスト4

1回戦    8-0 相原

2回戦    3-0 川崎

準々決勝 11-2 平塚

準決勝   1-2  鎌倉  

鎌倉 100 000 000 1 2

   慶應 000 010 000 0 1

◇渡辺−高橋、保坂

【三】守谷

【二】妹尾

 

     昭和34年(1959年)夏  神奈川大会 準優勝

2回戦   8-1 藤沢商

3回戦   5-0 県商工

準々決勝 2-1 横浜

準決勝   2-0 横浜商

Y校 000 000 000 0

慶應000 001 10x 2

◇渡辺−高橋

決勝    0-4 法政二 

法政000 000 000 4 4

慶應000 000 000 0 0

     渡辺−高橋

【三】加藤、渡辺

0-0のまま延長戦に突入します。ここまで法政打線を無得点に抑えてきた2年生の渡辺投手ですが10回表、ヒットと敵失で3塁に進まれ、四球で13塁となった後、スクイズと送球エラーで2失点。さらに四球のあと2塁打を打たれこの回4失点。準優勝に終わりました。

 

 

12回生】

部長 長尾雄

監督 鶴岡伸彦(8回生)

主将 丸山武三

主務 猪原 紘(13回生)

選手 渡邉、加藤、木南、須々木、深谷、保坂、松方、宮川、村上、山本、栗原、小林、板倉、    

   関

 

監督は鶴岡さんに代わります。まだ大学3年生でしたが渡辺投手入部以来コーチとしてチームを見てきました。

3連覇中の法政二をとめるのは慶應かと思われたのがこの世代です。33年は春夏法政二に敗れ、秋に勝って優勝しますが34年夏に再び敗れ2年連続で甲子園を逃していました。その法政二を秋も春も破り優勝。秋季県大会を無失点(渡辺さんが5試合すべて完封、2回戦の日大戦ではノーヒットノーラン)で2年連続の優勝を決めた塾高は秋季関東大会も3試合わずか1失点で初優勝しました。神奈川に移ったため選抜出場を逃したのが昭和25年の春。その前年の出場から11年ぶりの選抜甲子園出場を果たしました。神奈川代表としての選抜出場は初めてです。

選抜では大会タイ記録の21安打の勝利など2試合に勝利しベスト8の活躍。準々決勝は延長で敗れました。

そして春も優勝し関東大会に出場します。

 

このチームは延長に縁があったのでしょうか、夏の大会では2回戦が延長11回、準決勝が延長10回と苦しみさらに決勝も延長戦。3度法政二と対戦し最後は敗れてしまいます。(11日間で5試合すべてに完投した渡辺さんは49イニング投げ抜いています。甲子園も含む公式戦で3失点より多く失点がなかった渡辺さんがはじめて失った大量失点が49イニング目の4点です。)

4連覇を達成した法政二は全国選手権大会で優勝。名匠田丸監督が「慶應に勝つことが目標だった」と語ったといわれるほど慶應は法政二を苦しめたのですが残念ながら夏の出場は果たせませんでした。このときの法政二のエースはその後巨人に入りV9時代の先頭打者として活躍した柴田勲さんです。

 

大エース渡辺泰輔さんは大学時代も活躍。昭和39年の春には立教戦で史上初めての完全試合を達成。通算29勝をあげています。そしてプロ野球南海ホークス(現ソフトバンク)に入団。昭和41年には南海3連覇の原動力となる16勝など通算54勝をあげます。41年の日本シリーズでは敢闘賞も受賞。

渡辺さんは背番号20でしたが背番号19はあの大打者野村克也さん(現楽天監督)であり、背番号21はあの大投手杉浦忠さん(立教大学で36勝、プロで187勝)でありまさに南海黄金時代に活躍したのでした。なお、塾内部進学者の六大学ノーヒットノーラン記録者としては渡辺さんの他には24年春法政戦で記録した加藤雄司さん(普通部・塾高元監督)だけです。

  

4番打者松方さんも大学で活躍しました。そして日吉倶楽部3代目の会長として4年間務めていただき平成17年の選抜甲子園出場時に倶楽部員をまとめ財政見直しのための特別会費募集にご尽力され、さらにメモリアル施設として現在整備中の屋内ブルペン建設に向けた下地をつくりました。

 

秋も春も関東大会出場、選抜出場、夏は準優勝というのはまさに平成17年の塾高とダブります。

そして塾高の選抜甲子園出場は平成17年まで45年間待たされることになるのです。

 

■昭和34年(1959年)秋  県大会 優勝 2年連続3度目

地区予選 10-0 横浜緑ヶ丘

     6-0 横浜

     6-3 横浜一商

    11-1 横浜翠嵐

1回戦    3-0 横浜一商(現横浜商大)

2回戦    4-0 日大

準々決勝  3-0 浅野

準決勝    5-0 法政二

決勝     2-0 南(優勝) 

南  000 000 000 0

慶應001 000 10x 2

◇渡辺−宮川

 

     昭和34年(1959年)  秋季関東(2年連続4度目の出場)  初優勝

1回戦 6-0 銚子商

準決勝 3-1 大宮

決勝  8-0 甲府工

甲府 000 000 000 0

慶應 023 000 03x 8

◇渡辺−宮川

【二】渡辺、松方、丸山

 

■昭和35年(1960年) 選抜大会(11年ぶり5度目の出場)  ベスト8

1回戦  15-2 鹿児島商

慶應 241 012 113 15

鹿商 100 001 000  2

◇渡辺―宮川

【三】松方、須々木

【二】宮川、須々木、保坂、松方

(塾高21安打)

2回戦   5-3 東邦

東邦 000 100 002 3

慶應 201 020 00x 5

◇渡辺−宮川

【三】保坂

【二】松方、宮川

準々決勝 1-2 秋田商

秋田商 010 000 000 01 2

慶應   000 000 001 00 1

◇渡辺−宮川

【二】加藤、丸山、松方

 

     昭和35年(1960年)春  県大会 優勝 7年ぶり2度目

1回戦    2-0 県商工

2回戦    5-1 平塚

準々決勝  5-1 小田原

準決勝    3-2 鎌倉学園

決勝     6-1 法政二   

法政 010 000 000 1

慶應 100 031 10x 6

◇渡辺−宮川

【三】松方

【二】加藤、木南

 

     昭和35年(1960年) 春季関東大会(7年ぶり2度目の出場)

1回戦 0-3 桐生

 

 

     昭和35年(1960年)夏  神奈川大会 準優勝

2回戦    9-0 鶴見

3回戦    1-0 県川崎

準々決勝  5-1 浅野

準決勝    3-1 鎌倉学園

慶應 000 000 010 2 3

鎌学 100 000 000 0 1

◇渡辺−宮川

【二】松方、丸山

決勝     2-6 法政二   

法政二 000 000 020 4 6

慶應   001 010 000 0 2

塾高は3回、5回に1点ずつ得点。終盤までリードしますが8回に同点に追いつかれ同点になります。

塾高は、9回に1死満塁とサヨナラのチャンスを迎えますが、ダブルプレーとなり、チャンスを逃します。

前年と同じ法政二との決勝対決は前年と同じに延長戦に突入します。そして前年同様延長10回に4

を失い法政二の4年連続の甲子園出場を許してしまいました。

 

13回生】

部長  長尾雄

監督  山内智司(9回生)、石原伸晃(3回生)

主将  加藤太郎

主務  猪原 

選手 大橋、勝川、上条、小島、夏目、荻原、春川、福井、細川、丸山、水崎、大渡

 

山内さんが監督になりますが練習中の事故で怪我をされ、石原さんが2回目の監督になります。

 

秋は横浜に逆転サヨナラ勝ちでベスト16。日吉での試合と記録されていますのでこのころは横浜高校を日吉に迎えていたようです。春は秋準優勝の希望ヶ丘に敗れます。

夏は4年連続して法政二との対戦となりました。残念ながら敗れてしまいます。法政二は昭和36年選抜

も優勝しており前年夏に続く甲子園夏・春連覇を達成しており、そしてこの夏も制し神奈川5連覇を達成します。

主将の加藤さんは大学野球部時代に熊谷商工にコーチに行き、そのまま甲子園に出場し采配を振るっ

た経験を持ちます。湘南藤沢の監督も務めました。日吉倶楽部では技術委員長、幹事長と上田監督をバックアップし、現在4代目会長となりました。その傍らで東京六大学公式記録員として神宮球場にも通っています。

      

     昭和35年(1960年)秋  県大会 ベスト16

地区予選 5-2 金沢

3-6 横浜緑ヶ丘

         1-7 武相

1回戦   3-2 横浜

横浜 000 020 000 2

慶應 000 100 002x 3

     遠藤、向井−沖原

【二】八木、大橋

2回戦   3-7 横浜商工(現横浜創学館)   

商工 013 030 000 7

慶應 000 102 000 3

◇遠藤、勝川−荻原

【本】丸山

【三】田中郁          

 

     昭和36年(1961年)春

地区予選 1-6 桜丘

8-5 横浜商工

        11-1 神奈川工

1回戦   0-4 希望が丘

慶應 000 000 000 0

希望 100 000 30x 4

◇細川−荻原

【二】加藤

 

     昭和36年(1961年)夏

1回戦   12-5 湘南

湘南 200 200 100 5

慶應 124 003 02x 12

◇細川、遠藤−萩原、八木

【三】萩原

【二】福井

2回戦   0-5  法政二

法政 100 010 300 5

慶應 000 000 000 0

◇遠藤、細川、勝川−萩原

 

 

14回生】

部長 長尾 雄

監督 石原伸晃(3回生)

主将 田中郁也

主務 新村英徳

選手 中川、吉村、向井、遠藤、川口、中村、丸山、種村、須々木、立木、内藤、長浜、田中

 

秋は準決勝で法政二とあたります。法政二には2年連続して夏の大会で敗れておりましたが遠藤さんの2失点完投と12点を取った打線の爆発で快勝しています。5回までに10点差がついていたのですがコールドはなかったようです。そして1026日に行われた決勝は鎌倉学園と接戦の末日没引き分けとなってしまいます。決勝再試合が天候不順で順延となり関東大会日程の関係からか抽選で鎌倉学園が優勝となってしまいます。2年ぶり5度目の関東大会に出場しましたが1回戦、1点リードで迎えた最終回に逆転され惜しくも選抜出場を逃します。

なお、この秋季関東大会は鎌倉学園が優勝しました。鎌倉学園は選抜でベスト8まで勝ちあがります。

鎌倉学園には永田投手(大毎―東京)、竹之内選手(西鉄―阪神)の2人がプロに進んでいます。

春も順調に勝ち上がり準決勝で法政二と対戦し今度は敗れてしまいベスト4にとどまります。

 

法政二と秋、春と11敗で迎えた夏の対戦は春に続く準決勝でした。(現在の組み合わせでは春の組み合わせとは異なるように組まれますがこのときはそういう方式ではなかったようです)

33年準決勝、34年決勝、35年決勝、362回戦と夏は5年連続の対戦となりましたがこれを制したのは塾高であり、しかも法政二の6連覇を阻止しました。このときの法政二のエースは日本人初の大リーガーとなる左腕村上さんでした。

そして秋の大会で引き分けの末、抽選で敗れた?鎌倉学園に勝って6年ぶりの夏甲子園出場を決めたのです。決勝は5回までで0-3の劣勢でしたが応援に来ていた渡辺泰輔さん(12回生)に「もっと真面目に投げろ」と叱咤激励された遠藤さんが以降を零点に抑え打線は7回に一挙8点を奪い大逆転(50年史遠藤さん記述)という試合でした。

8本の安打を集中した7回を振り返ります。

この回まず河端さんが右中間を破り二塁打。これは塾高が放った3本目の安打です。中川さん二ゴロのあと川口さん、種村さんが連打して、23塁。丸山さんは2-2からインコース低めのボールを強引に打って二塁打、一挙にタイに持ち込みました。続く須々木さんが三遊間を破るとついに鎌学は永田投手が降板し、小林投手が救援しました。しかし小林投手は変化球に頼り本来のスピードに乗った直球を見せなかったようで遠藤さんのスクイズを警戒して四球を与え、立木さんにボールひとつ投げたところで左翼にいた永田が再び登板しました。立木さんは三振に打ち取られますが田中郁さんへの1ストライク後に永田投手が投じたタマはややインコースよりベルトの高さへ。これは田中郁さんがこれまでしばしば快打していたコースです。田中郁さんのバットからはじかれたボールは中堅手が右翼よりに守ってあけていた左中間深く飛び走者一掃となりました。息つく暇もなく続く河端、中川がさらに連打しました。

閉会式のあとには石原監督を胴上げし、優勝を喜びました。なお、塾高の夏の甲子園出場はこのあと果たせていません。なんとか夏の甲子園出場も実現してほしいものです。

 

6年ぶりの夏の甲子園では1回戦で長野高校と対戦、遠藤さんの完封で勝ち上がりましたが2回戦では選抜優勝の作新学院とあたり敗れました。作新学院はこの夏も優勝し史上初の春夏連覇を達成しました。

 

主将の田中郁さんは日吉倶楽部広報委員6年、委員長2年、副会長4年務めていただき日吉倶楽部報発行の基礎を築いていただいきました。

エースの遠藤さんは甲子園の1回戦を4安打完封に抑えます。塾高として甲子園で完封した投手は5回生の川本さんとこの遠藤さんの二人だけです。遠藤さんは現日吉倶楽部副会長です。

兄弟甲子園選手としては村上雅一さん(5)、村上勝成さん(12回)、小島孝雄さん(8回)、小島誠司さん(9回)に続き3組目が須々木邦彦さん(12回)、須々木敦弘さん(14回)です。

須々木兄弟について14回主将田中さんからコメントをいただきました。

「須々木兄弟は2人とも幼稚舎から慶応です。普通部時代から兄は俊足巧打の名外野手、弟は華麗な守備を誇る名ショートでした。2人とも大学野球部でもレギュラーとして早慶戦でも大活躍しています。この兄弟は兄弟で甲子園に出場し6大学野球でもレギュラーだったという慶応の歴史の中でも特筆されるべき名選手であり、運の強い2人です。」

  ちなみに須々木敦弘さんは昭和41年秋の早慶3回戦で慶應義塾大学では2人目のホームスチールを記録しています。0-09回にスクイズ(内野安打)を決めた須々木さんはさらに3塁に進み本盗を決め2点目をとり勝利に貢献しています。早稲田の投手はエースの八木沢投手(早大−東京・ロッテ)。昭和37年春夏の甲子園を連覇した作新学院のエースです。夏の甲子園では赤痢の疑いで欠場したため2回戦で作新学院と塾高が対戦したときに八木沢投手は登板していませんが大学で須々木さんのほかにも遠藤さん、内藤さん、中川さん、大滝さん(15回)らが再対戦を実現させています。

 

14回生の思い出としてまたまた応援指導部OB星野さんからコメントをいただきました。

 「昭和37年夏、小生はまだ独身で横浜支店に勤務していました。夏の県予選は鎌倉学園が優勝候補の一番手に挙げられていたようです。小生の会社に出入りしていた「乙仲」(通関業者)S社のY部長は鎌学野球部後援会役員で常日頃から「今年は鎌学が優勝」と豪語しておりました。決勝戦の前日でしたかY部長とは例によって口角泡を飛ばしての野球談義となりましたが、その結果、行きがかり上「負けた方が野毛で一席設ける」と云う約束をしてしまいました。決勝戦当日は兎も角大変な猛暑で応援指導部のリーダーが日射病でダウンするほどの騒ぎでした。偶々仕事が忙しくてなかなかオフィスを抜け出せず漸く球場に駆けつけたとき、丁度塾高が大逆転を果たした直後で、場内は割れるような大歓声に包まれていました。

その後、遠藤投手が独特のフォームで汗まみれの力投をしていたことが今でも記憶に残っております。

塾高の甲子園出場が決まり、約束通りY部長に野毛でご馳走になりましたがY部長は「慶應の河端君が7回に放った打球は本当にゾッとするほど凄かった」と繰り返し述懐しておりました。懐かしい夏の日の想い出です。 

遠藤凱孝投手は塾高入学時は応援指導部に在部しておりその後野球部に入部した「異色の存在」です。昭和36年夏の2回戦、対・法政二高のゲームは川崎球場で行なわれ小生も観戦しました。塾高チームは白いユニホーム姿で、ナインの体格もそれほど頑健な感じではなく、まだ少年の雰囲気を残したような選手が目だったのに比較し法政二高は柴田勲選手をはじめ既に「成人」の風貌の連中が多くユニフォームの着こなしもちょっと違っていたことが未だに記憶に残っています。   星野仁一」

 

     昭和36年(1961年)秋  県大会 準優勝

地区予選 9-1 鶴見工

        9-0 横浜商工

1回戦   6-1 希望が丘

2回戦   6-2 藤沢商(現藤沢翔稜)

準々決勝 8-2 横浜

準決勝  12-2 法政二

法政 000 002 000  2

慶應 026 200 02X 12

◇遠藤−川口

【三】内藤

【二】谷川、須々木

決勝    4-4 鎌倉学園

鎌学000 002 002 4

慶應000 100 120 4 (9回日没引き分け)

◇吉村、遠藤−川口

【三】河端

【二】内藤

再試合  天候不順により中止となり、抽選で準優勝 

 

     昭和36年(1961年) 秋季関東大会(2年ぶり5度目の出場)

1回戦 3-4 川越工   

川越 100 001 002 4

慶應 000 120 000 3

◇遠藤−川口

【二】新堀

 

     昭和37年(1962年)春  県大会 ベスト4

地区予選 10-1 金沢

10-2鶴見工

         1-3  関東学院

        10-1 関東学院

1回戦   10-0 城東

2回戦   3-1  武相

準々決勝 5-2  相洋

準決勝   0-6  法政二  

法政 001 300 002 6

慶應 000 000 000 0

◇遠藤−川口

 

     昭和37年(1962年)夏  神奈川大会 優勝 6年ぶり3度目

2回戦   1-0 日大藤沢

3回戦   5-2 横浜商

準々決勝 6-2 県川崎工

準決勝   5-1 法政二

法政 000 001 000 1

慶應 200 030 00x 5

◇遠藤−川口

【三】河端

決勝    8-3  鎌倉学園 

慶應000 000 800 8

鎌学 100 020 000 3

◇遠藤−川口

【三】田中郁

【ニ】丸山、河端

 

     昭和37年(1962年) 全国選手権大会(6年ぶり16度目の出場)

1回戦 3-0 長野

長野 000 000 000 0

慶應 000 300 00x 3

◇遠藤−川口

塾高は3回まで無安打に抑えらますが4回裏、河端さん、川口さんの安打と種村さんの四球で満塁とし、代わった長野・石井投手から丸山さんが三遊間にタイムリーを放ちます。相手野手の悪返球も絡み、一挙に3得点をあげます。遠藤投手が長野打線を4安打に完封しました。

2回戦 0-7 作新学院

作新 101 210 020 7

慶應 000 000 000 0

◇遠藤−川口

【二】田中郁、内藤

塾高は5安打で零封されます。一方で作新に毎回の14安打を打たれ敗戦しました。作新の加藤賦投手は中日の選手となりました。

 

15回生】

部長 長尾雄

監督 石原伸晃(3回生)

主将 加瀬谷安久

主務 寺東  (16回生)

選手 柳生、園田、柴田、宮原、大滝、宇賀山、鶴岡、石井、西村、松田、河端

 

甲子園出場後の新チームは練習ができず苦戦するものですが秋は2回戦、春は準々決勝で負けてしまいます。

しかし夏は2年連続で甲子園出場を目指す塾高が巧みな投手リレーで勝ちあがります。そして準決勝で法政二と対戦します。法政二とはこれで夏6年連続の対戦でしたが柳生さんのタイムリーで1点を上げ小方さん、鶴岡さんのリレーで完封し決勝まで駒を進めます。決勝の相手は当事新鋭の横浜。記録上はこれまで横浜に公式戦6戦負けなしでしたが惜しくも敗戦、準優勝に終わりました。

 

横浜高校は創部16年目で初の優勝です。この後塾高は横浜に41年に勝ちますが43年の引き分け以降11連敗を喫することになるのです。そして連敗に終止符を打ち選抜出場につながった平成16年の秋季県大会は皆さんも記憶に新しいと思います。   

昭和27年以降の夏優勝は法政二が7回、塾高が3回であり法政二と塾高の時代でありました。この2校以外が優勝するのは昭和29年の鶴見工以来9年ぶりとなりました。

なお、夏の大会開会式では前年の優勝旗返還とともに選手宣誓を主将加瀬谷さんが行い、最後に準優勝旗を受け取っています。

 

5番レフトの宇賀山徹さんは東京六大学野球42年秋の首位打者となります。塾高出身者としては6

生の赤木さん以来です。ベストナインも2回受賞しています。そして宇賀山さんは日本鋼管に進み48

1973年)の都市対抗野球に出場し優勝するとともにMVPにあたる橋戸賞を受賞しました。後にも先にも

塾高出身者が社会人野球で表彰を受けたのはこの宇賀山さんだけなのであります。

大滝さんは大学野球部で主将を務めています。塾高出身者としては5回生黒松さんに続く2人目です。現在も恒例の札幌夏合宿の段取り等でお世話をいただいています。

 

     昭和37年(1962年)秋

地区予選  7-3 横浜平沼

7-3 希望ヶ丘

2回戦    4-5 県横須賀

横須賀 003 000 002 5

慶應   210 000 100 4

◇鶴岡、宇賀山−加瀬谷

 

     昭和38年(1963年)春  県大会 ベスト8

地区予選  6-0 横浜平沼

4-1 横浜一

5-2 希望ヶ丘

1回戦   22-0 小田原

2回戦    3-0 県川崎工

川工 000 000 000 0

慶應 101 100 00x 3

     松田−丸山

【三】大滝

【二】河端

準々決勝  0-4 武相

武相 000 102 001 4

慶應 000 000 000 0

     鶴岡、松田−加瀬谷

【二】河端

 

     昭和38年(1963年)夏  神奈川大会 準優勝

1回戦   4-0 多摩

2回戦  10-4 市横須賀工

3回戦   3-0 県川崎

準々決勝  4-1 県商工

準決勝    1-0 法政二

法政 000 000 000 0

慶應 001 000 00x 1

     小方、鶴岡−加瀬谷

【二】鶴岡、加瀬谷、小方

決勝     3-5 横浜   

横浜 103 000 010 5

慶應 001 000 020 3

     小方、鶴岡−加瀬谷

【三】柳生

初回横浜がタイムリーで1点を先制。3回から鶴岡投手に代わりますが、ヒットとエラーで3失点。その裏、塾高も西村さん、柳生さんの安打で1点を返しますが中盤は膠着状態に。8回横浜が4連打で1点を追加すると、その裏塾高も2点を返し2点差に迫りますが追いつけずに準優勝に終わりました。